最近、絵画をつくるものについて考えている。 今までは、モチーフに対しては、あまり美しい風景や、特別な場所というのを避けて、あまり意味の持たない場所を描こうとしていた。 しかし、どれだけ慎重に選んでも、私が場所を、見るものを選ぶ限り、なんらかの私の美意識というものが存在しているのではないかと 考えるようになった。この美意識は、単に美しくまとめあげる意識というよりも、絵を「完成した」という決断へ向かう時の、どうしよ うもなく現れてしまう自分の判断の志向のようなものだ。 今までの作品を振り返ると、空と大地あるいは水面、その間にある木や建築物を私はよく選んでいる。そしてほとんど、私はこの3つを 欠けることなく一つの画面に置いている。空間を認識する上で重要な要素がこの3つの関連の中にあるのだろうか。 それと何らかのパターンも、繰り返し現れるモチーフである。私の中で、空間の中に何らかの法則性を求める意識があるのだろうか? 又、色についても、今までは単に実際の色と近ければ良いと考えていた。しかし、キャンバスという小さな場所に、私の見た広大な場を 表すのだから、物質も大きさも、何もかも違うものに置き換えるのに、色をカラーチャートで合わせるような感覚で良いのだろうかと、 最近感じ始めた。小さな場に絵具という物質で広大な場と光を置き換えるには、私の見た色を純化させるというのか、そのようなことが 必要なのではないか。そしてこの色を置き換えるという作業においても、どうしようもなく美意識というものが働いているようだ。 絵を作るものー モチーフを選ぶ、絵具を選ぶ、筆を動かす、決断するー このような行為が気になってきたのは、ものを見て描くという 行為に対して私がより深く考えられるようになってきたということなのだろう。 未だに分からないことばかりだが、地道にこの行為について考えてゆきたい。